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1. はじめに
自然災害により被害が発生するかどうかは,社会の防災力と発生外力の関係から決まる.社会の防災力を上げるためにはさまざまな防災対策を行う必要があるが,有効な防災対策を実施するためには,どのような対策が欠けているのかということを知らなければならない.すなわち何をどのように強化すれば社会の防災力が上がるのかを把握する必要がある.津波のような低頻度巨大自然災害の場合には,対策を行うにあたって,過去の事例調査からその手がかりを探すことが重要となる.近年,災害が起こった際には様々な分野から詳細な調査が行われるようになっており,活用できる資料は増えてきている.本研究では,津波来襲時に生死を分けた要因を探っていくことを目的として, 1983年に発生した日本海中部地震津波を対象に,当時の調査報告書や新聞記事,体験談を用いて事例の再調査を行った.
2. 日本海中部地震津波
日本海中部地震は1983(昭和58)年5月26日の11時59分に発生した.震源域は秋田・青森県沖で,地震マグニチュードは7.7,震源に近い秋田,深浦などでは震度」を観測した.津波規模階級はm=3(400km以上の海岸線に顕著な被害)とされており,人的被害の生じた沿岸域には早いところで地震後10分程度で津波が到達し,この地域の津波痕跡高は2〜14mにも達した.この地震では104名の犠牲者がでたが,そのうち100名が津波による犠牲者であった.その中でも,港湾工事関係者が41名,釣り人が17名,遠足の小学生が13名と多いのが特徴である(表1参照).
表1 日本海中部地震の犠牲者内訳
死亡者数 原因 内訳(人) 計 104 津波 100 港湾工事現場 41 釣り人 17 海上操業中 8 観光・遠足 14 海藻採取中 2 岸壁上 1 船修理中 1 農作業中 4 その他 4 地震動による 4 地震のショック 2 広告塔倒壊による 1 煙突倒壊による 1
3. 事例調査による要因の抽出
3.1 事例調査
事例調査を行うにあたって,体験談および新聞記事から抜き出したデータは201名分(生存101名,遭難100名)である.地震時および津波来襲時における個人の行動を特定するために,記述に残っている範囲で@地震発生時にいた場所,A地震発生時何をしていたか,B警報(地震情報)を聞いたか,C避難を開始した時期,D波にのまれたかどうか,E生死,F被害波到達時間,G警報の発令された時間,Hその他当時の状況について整理した.
3.2 生死を分けた要因
それらの情報をふまえて地震発生から救助・遭難までの流れとそれに関わった要因をフローにまとめたものが図1である.なお,フロー中では,要因を吹き出し部分で示している.また,フロー中の「他人」は,グループの同行者,地元住民,海岸周辺への勤務者などその場に居合わせた人すべてを指している.
図1のように整理することにより,生死を分けた要因は以下の2つの段階に分けて考えることができる.第1段階として波にのまれてしまうまで,次の段階として波にのまれてしまった後,である.波にのまれてしまったかどうかを分けた要因としては,被害波到達前にどのような行動をとったのか(同じ場所にいたにもかかわらず,地震後早くに避難行動を開始した人は波にのまれることがなく,遅かった人のみ遭難してしまった3)),周囲にいる人の対応(この津波では遠足の児童が13名遭難した.一方で,同じように遠足や修学旅行で海岸近くに居合わせた生徒が,地域住民の忠告により内陸に移動し難を逃れている5))が大きく影響を与えているようである.
一方,第2段階として,波にのまれてしまった後で生存できたかどうかは,つかまる場所やものが近くにあったか,近くに救助してくれる人がいたかなどの偶然性が大きいが,救助されるまで体力が維持でき,浮遊できたかどうかが重要となっていることがわかった.
図1 生死を分けた要因の地震発生からの流れ
3.3 避難が遅れた要因
3.2より,人的被害を減らすためには,当然のことではあるが,津波に対する避難行動を早めに起こすことが重要であるといえる.そこで,日本海中部地震の際になぜ避難の開始が遅れ,波にのまれてしまったのかについて事例調査の結果をまとめると以下のようなことが言える.
■ 港湾工事従事者…仕事中で,現場監督の指示に従って行動.地震にしか注意が向いていなかった.現場に避難指示が出たときにはもう逃げ場がなかった.指示を伝える手段がなかった.
■ 釣り人…岩場であまり揺れを感じなかった.ラジオなど情報を聞く手段をもっていなかった.逃げる場所がなかった.
■ 遠足・観光客…避難指示等の内容がわからなかった.地震自体を認識していなかった.
■ 住民…過去の地震(男鹿地震(1939))の経験から浜に逃げた.地震後,船の様子を見に浜へ出た.
また,多くの人に共通しているのが,「地震後,津波が来るとは思わなかった」ということである.以上より,避難の開始が遅れ波にのまれてしまった要因としては,次の5点があげられる.
ウ) 地震の大きさを認識していなかった.
エ) 地震後,津波が来ることが予想できなかった.
オ) 避難指示が出されるのが遅かった.
カ) 津波警報が出てもそれを聞く手段をもっていなかった.
キ) 逃げる場所がなかった(島にいた,近くに高台がなかった場合など).
4. まとめ
津波来襲時に遭難したか生存できたかの違いは偶然性の要素が大きいと思われているが,自分で正しい判断ができたか,周囲の人がどのように関わってきたかも大きく影響を与えているということが読みとれた.すなわち,防災力を上げるには,
○災害時に状況判断をできる人材育成を行うこと
○なるべく早い段階で情報を出せること
○正しい状況判断を促すような設備(警報装置,避難所標識など)を整備すること
○地域で救助体制を作っておくこと
○企業などでは緊急時の行動と責任者をきめておくこと
が重要であるといえる.また,人家から離れた場所ほど,救助の可能性は低くなるため,そこにいる人に避難を促すような対策が行われなければならない.加えて,
○波に流されてしまったときに体力を消耗しないで浮遊できる方法を知っておくこと
も重要であるといえる.
参考文献
国土庁(1984):日本海中部地震による総合的調査報告書,188pp.
津波防災実験所報告(1984):昭和58年5月26日 日本海中部地震津波に関する論文および調査報告,東北大学工学部津波防災実験所研究報告第1号,267pp.
秋田県つり連合会編(1983):釣り人が証言する日本海中部地震 大津波に襲われた,366pp.
合川南小学校地震津波遭難記録編纂委員会編(1984):わだつみのうた,秋田書房,230pp.
本庄和子他編(1984):日本海中部地震体験記 1983年5月26日,秋田書房,273pp.
秋田魁新報 1983年5月27日〜7月15日